カイロプラクティックの施術で悪くなる可能性

つぶやき

カイロプラクティック施術者(カイロプラクターという)にとって

これはドキっとするタイトルだ。

カイロプラクターはこのタイトルを無視できないハズだが、

無視している施術者がごまんと居る。

 

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少しタイトルを読み違えてもらっても困るので断っておくと、

当たり前の話なのだが、

痛みのあるところに直接カイロプラクティック施術を行うことは

当然行ってはならないことで、今回はこんな低レベルな話ではないので論外とします。

(これでカイロプラクティックと看板出さないでほしい)

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ただ、このタイトルも結構難しいものも確か。

例えば、「悪くなる」とはどういうことなのか?

一般的には症状がひどくなることと捉えられがちだが、

このブログで伝えているとおり、そのとおりではない。

 

問題は、長期的に患者さんにとって有益なのか無益なのかだと考える。

今、この瞬間、痛みを取り除くことができれば、有益なのか?否かである。

西洋医学的(メディカル的)に考えれば、それが有益と捉えられる。

しかし、長期的には無益どころかその選択は実は大損なのである。

と、このブログでずっと伝えてきた。

 

もっと言うと、有益とはナニか?

長生きできること?メディカル的にはこれが正解。

 

私的には、身体的にも精神的にも死ぬまで健康でいられることだ。

つまり、早く死ぬか長く生きるかではなく、

死ぬまで限りなく不自由なく過ごせるかだ。

 

人一倍健康に気を遣っていたのに、突然死んでしまった、

突然不治の病になってしまった、ということはよくある話。

では健康に気を付けていたのはムダだったのか?

いいえ、これが本当の健康で生きられたこと、なのだと私は思う。

健康に気を付けていたことが実は逆に不健康にしていた、ということもあり得る。

それを議論することはムダかもしれない。

世の中の情報のどれを選ぶか、もしくは経験で選ぶかで決まってくるからだ。

でもその中にも正解があるとは限らない。

つまり、エビデンスも科学的根拠とはなり得ない可能性がある。

だから、これを議論するのはムダかもしれないのだ。

 

最終的には自分はナニを信じるか、ナニが目的かだ。

 

世の中に名を残した偉人たちは長生きできたとは限らない。

名を残すことが正解?そういう正解もあるだろうと思う。

 

患者さんが治療にやってきた。

患者さんの目的はこの症状を解消したいこと、これは間違いない。

症状の解消、例えば、痛みをなくすこととして、

痛みをなくすのであれば、痛み止めを飲めば話が終わる。

そう、ずっと痛み止めを飲み続ければいい。

これが正解なのかそうでないのか、だ。

患者さんの目的はここなのであろうか?

痛み止めの薬でいいではないか。

なぜそれをダメだと考えるのか。

薬は体に良くない、薬で症状を一時的に抑えているだけ

というようなウワサにすぎない一般論が気になるだけなのか。

薬は体にどのように良くないのか、

薬で症状を一時的に抑えてなにが悪いのか?

薬には副作用があるから良くない?

副作用として胃が悪くなるから?胃薬を飲めばいいんじゃない?

胃薬の副作用は?・・・と永遠と続くのか?

そのどこかで落ち着けばいいんじゃない?

その痛み止めが効かなくなってきたらどうする?

手術する?

手術して症状が解消されればいいんじゃない?

手術して症状が解消されなければ次はどうする?

 

そう、メディカルにはその次はない。終わりなのだ。

 

つまり、その痛みと死ぬまで付き合わなければならない。

それで長生きしたらどうする?生き地獄である。

考えただけで恐ろしいことだ。

 

だから、もう少しマジメに考えなくてはならないのだ。

 

実際、そのような過程で来院される方は少なからずいる。

そのような患者さんが元通りに症状が解消されるのか?

答えはNOだ。

手術で切ったところは元通りには絶対にならない

それは誰にでもわかること。

 

経験での話だが、神経系にメスを入れると、

仮に症状が解消されたとしても、症状が再発、もしくは別の症状が発生し、

さらに増幅されてくるのが通常だ。

 

だが当たり前のことをすれば、手術を除いた最高地点まで回復はできる

その最高地点がどこなのかは、わからない。

98%が最高なのか、70%が最高なのか、わからないのだ。

だが、ココが最高地点だろうな、ということはわかる。

そう、症状が順調に回復していって、ついに回復しなくなる点がそこだ。

「お前の治療法じゃそこが限界だからじゃないのか?」

そうかもしれない。が、私はそうは考えないというだけのことだ。

 

今、当たり前のことをすれば、とサラッと述べたが、これが簡単ではない。

当たり前がナニかを探さなくてはならないからだ。

つまり、その症状を引き起こしている原因を見つけること

このブログで何度も申し上げているが、日常生活のどこかの姿勢である

それがチリツモ(塵も積もれば山となる)で身体的負債となっているのだ。

これは必ずその患者さんの日常生活のどこかにあると考えている。

 

一言でどれなのか探すのであれば、

「背骨を丸めるような姿勢で、そのなかでも時間が長い姿勢」

が第1候補である。

その中でも、仕事はあまり上位にはならない。

例えばデスクワークでPCばかりなので背骨を丸めている姿勢であるとする。

が、実はダメージはさほどでもない。ないとは言えないがそうでもないのである。

さすがに長時間ノートパソコンで地べたに座って仕事をしていれば別だが、

通常の仕事場であればそれは考えにくい。(詳しく聞き取る必要がある)

 

で、その第1候補の姿勢を探すことが大変なのである。

思わないところにそれがあるのだ。

 

以前、このような方がいた。

お寺が家業で、朝早くから夜遅くまでほぼぶっ通しで動いていて、

座るのはご飯の時くらいだというのだ。

その方の症状は手のしびれ。

手のしびれがあるのに座らないというのは私の頭の中ではあり得ないのだ。

必ずどこかにあるはずだと来院されるたびに強く伝えた。

で、ある時、座っているときがあったと言うのだ。

原因は化粧だ。

その方は女性でなかなかの容姿。

だからさらにはバッチリメイク。

そのメイクにはゆうに1時間以上はかかるという。

その姿勢が、ダイニングテーブルの椅子にあぐらをかいて

鏡に顔を近づけてやっているという。

たかだか1時間だが、なかなかの姿勢である。

立って洗面台で行うように伝えたところ、症状は解消された。

たったこれだけで症状は解消するのである。

これが「当たり前のこと」だ。

 

我々の手技で改善できるパーセンテージとしてはほんのわずかだと考えている。

週に一度、数分の施術で、その圧倒的な時間をかけて負債となる原因には焼け石に水である。

普通に考えれば、これも当たり前のことである。

 

なにも私に腕がないと言っているのではない。

私は腕にはとても自信がある。少なくともこの近辺では負けない自信がある。

それにはとてつもない時間をかけて勉強と訓練を積んできたからだ。

だからといって、全員にカイロプラクティックの施術を行うわけではない。

あくまで治療法の一つの手段であり、導く考え方でしかない。

 

で、タイトルの話に戻る。

それは、原因を特定せずにカイロプラクティック施術を行うと、

短期的にも長期的にも悪化する可能性があると考えている。

つまり、その人にとっては有害になる恐れがあるのだ。

 

例えば症状が手のしびれで、原因が特定できていないとする。

そこで背骨を中心にカイロプラクティック施術を行ったとする。

すると手のしびれがひどくなるケースがあるのだ。

 

原理はこうだ。

 

カイロプラクティック施術は基本的には動きにくい関節を動きやすくするという考え方がある。

この考え方はあくまでカイロプラクティックの一つの考え方だ。

簡単に言えば、動きにくい関節を仕事できるようにしてやれば

仕事しすぎている関節の負担を減らせるということだ。

だが、一方で、悪い姿勢を特定できていない以上、その姿勢は続けているハズだ。

例えば、暇さえあれば座ってスマホを見ているのが原因だったとする。

座った姿勢を想像してみてほしい。

丸まった背骨、動かないところを動かす施術をすると、

より背骨が丸まってしまう可能性があるのだ。

 

これが安易にカイロプラクティック施術を行ってはならない理由だ。

順序としては、原因を特定し、治癒を促進する手助けとなるように

カイロプラクティック施術を施すことが正解だと言える。

 

だから、施術者は、「自分の手技(しゅぎ)で治すんだ!」という自覚を捨てる必要があるのだ。

だから私は「自分の主義(しゅぎ)で治すんだ!」と考えている。(笑)

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